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日の丸TOTE BAG 選べる家紋49種類

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■明智光秀
明智光秀、美濃の人と言われているが諸説あり。定説では土岐氏の出自とあるが実際には身分の低い武士であったことから仮に土岐氏であっても諸流の末端であったかもしれない。若い頃に浪人となり、越前朝倉氏の臣となる。斎藤道三との関係は不明、濃姫とは懇意ではないにしろ一族としての繋がりはどこかにあったのではないかと推測されている。
朝倉家時代、友となった細川藤孝と共に、将軍血筋であった「覚慶」を寺より救出、将軍「足利義昭」として還俗に成功する。
室町幕府再興のため奔走し、経済的実力者でもあった「織田信長」に近づき、その才と知識を生かしこれを補佐、義昭の上洛を成功させる。
しかし、信長と義昭の関係は長く続かなかった。謀略に勤しむ義昭を信長はついに追放、室町幕府は事実上ここで終焉を迎える。その節光秀は信長の臣となり、天下統一事業に力を貸すこととなる。
信長より羽柴秀吉の中国方面援軍を申し付けられるが、丹波で軍を返し謀反、本能寺の変で信長を討つ。
本能寺では信長を、二条城では信長の長男信忠を討ち取る。
その後、中国大返しに成功した羽柴秀吉に大山崎合戦で敗れ、敗走中に落ち武者狩りで最期を迎えた。

■光秀の人物像
ルイスフロイス「日本史」の記録によると、
「信長の宮廷に十兵衛明智殿と称する人物がいた。その才略、思慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けることとなり、主君とその恩恵を利することをわきまえていた。殿内にあって彼はよそ者であり、ほとんど全ての者から快く思われていなかったが、寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた」
「彼は裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。また築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主で、選り抜かれた熟練の士を使いこなしていた」
と評価されているが、光秀は熱心な仏教徒でもあり、フロイスは他の仏教徒人物に対しても辛らつな表現を用いていることからそのまま受け取る事はできない。
光秀は保守的な人物だと捉えられがちであるが、近年の研究では比叡山焼き討ちや朝廷工作、外交など信長の天下統一事業にとっては無くてはならない存在であり、実際秀吉よりも出世コースを歩んでいた。信長という難しい主君のもとで、高い評価を得ていた人物であるからには、謀略と武略に長けていたとみるのは当然の器量であり、当時信長が松永久秀を重用していたことから一流の人物であったと推測できる。

■本能寺の変
光秀が信長を裏切った真相は以前謎である。
本能寺の変の説としては30を超える説があるが、現在もっとも有力な「本能寺の変突発説」では、信長の致命的な油断が光秀に決定的なチャンスを与えたが、逆に光秀は突然の出来事であったため十分な準備ができていなかったといわれている。
信長に最も重用された男である。勝つべくして勝ための準備は怠らない人物でもある。内に秘めた想いとして、謀反の火種はあったに違いないが、そのチャンスは突然現れてしまったのかもしれない。

昨年発見された、雑賀衆「土橋重治」への書状では、足利幕府再興を理由にあげているが、実際には理由などはどうでも良かった。とかくに少しでも状況を改善するため、藁をも掴む思いだったに違いない。
結果的に光秀が毛利輝元に送った書状のことごとくは秀吉に捕らえられてしまっており、逆に秀吉の知るところとなった。
ところが、雑賀衆から瀬戸内海路を使った書状は毛利に届いていた。
歴史の妙か、雑賀衆の内輪もめで雑賀孫市は城を追われていたため、毛利への対応が遅れてしまっていた。 毛利輝元が本能寺の変を知ったのは、実に、秀吉との和睦が成立し、秀吉軍が撤退を開始(大返し)した翌日であった。