■明智光秀
明智光秀、美濃の人と言われているが諸説あり。定説では土岐氏の出自とあるが実際には身分の低い武士であったことから仮に土岐氏であっても諸流の末端であったかもしれない。若い頃に浪人となり、越前朝倉氏の臣となる。斎藤道三との関係は不明、濃姫とは懇意ではないにしろ一族としての繋がりはどこかにあったのではないかと推測されている。
朝倉家時代、友となった細川藤孝と共に、将軍血筋であった「覚慶」を寺より救出、将軍「足利義昭」として還俗に成功する。
室町幕府再興のため奔走し、経済的実力者でもあった「織田信長」に近づき、その才と知識を生かしこれを補佐、義昭の上洛を成功させる。
しかし、信長と義昭の関係は長く続かなかった。謀略に勤しむ義昭を信長はついに追放、室町幕府は事実上ここで終焉を迎える。その節光秀は信長の臣となり、天下統一事業に力を貸すこととなる。
信長より羽柴秀吉の中国方面援軍を申し付けられるが、丹波で軍を返し謀反、本能寺の変で信長を討つ。
本能寺では信長を、二条城では信長の長男信忠を討ち取る。
その後、中国大返しに成功した羽柴秀吉に大山崎合戦で敗れ、敗走中に落ち武者狩りで最期を迎えた。