【YouTube】坂本城跡(三の丸)発掘調査、保存へ

元亀2年(1571年)9月、比叡山焼き討ちを行った織田信長は滋賀郡の支配の拠点として明智光秀に坂本城を築城させました。ルイス・フロイスに安土城にも次ぐ規模の名城と言わしめた坂本城ですが、 本能寺の変の後に一度は消失。再建された坂本城も天正十二年(1586年)頃、大津城築城に伴い移築されわずか15年程度で廃城となったと言われるため、絵図等の詳細な記録がほとんど残されていない幻の水城の一つです。

 

今回の調査は令和5年10月から調査を開始。宅地造成工事に伴う調査で調査面積は約900㎡。
2月10日(土)・11日(日)に行われた現地説明会では、担当者の方が「そのまま埋め戻すというのは避けたい」と言っておられましたが、嬉しいことに本当に保存に動いてくれました✨

 

2月20日開催の市議会通常会議で、当初予定された宅地造成工事を中止、保存する方向で事業者と大筋合意に至った事が明らかになりました。城跡の国史跡指定を目指すとの事なので、陰ながらですが応援していきたい出来事となりました^^

  

現地説明で配布されました資料は、大津市様がネットにアップしてくれていますので、参加できなかった方はぜひチェックしてみてください。

坂本城跡発掘調査現地説明会資料(令和6年2月10日・11日) (PDFファイル: 12.8MB)

 

戦国魂公式YouTube「戦国魂チャンネル」の過去の配信はこちらからご確認いただけます

過去の配信もぜひ合わせてお楽しみください♪^^

 

また大津市埋蔵文化財調査センター1階研修室では令和6年5月31日(金曜)まで、緊急ミニ企画「坂本城跡」展を開催中です。
こちらもぜひご確認ください。

(※下記内容は大津市様HPより)

坂本城の本丸を調査したときの出土品を展示しています

明智光秀が築城した坂本城は、「本能寺の変」で織田信長が討たれた直後に失われ、その後1度は再建されましたが、大津城の築城の際に廃城となりました。絵図などが残っておらず、「幻の城」とされていました。

昭和54年に坂本城の本丸とされる跡が発掘調査で検出され、湖岸の石垣や井戸、建物跡、城で用いられた瓦や陶器などが出土しました。平成30・31年に坂本城の範囲とされていた場所で発掘調査が行われた際、坂本城よりも古い時代の遺構や遺物が検出され、坂本城が想定よりも琵琶湖側にあるのかもしれないと考えられるようになりました。

令和6年2月に坂本城の三の丸と思われる石垣が検出され、2月10日と11日に大津市文化財保護課による現地説明会が行われました。足を運ばれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

そこで大津市埋蔵文化財調査センターでは、緊急ミニ企画として、昭和54年の発掘調査で坂本城本丸とされる範囲で出土した、瓦や陶器を中心に展示を行っています。

坂本城はどんな城であったのか、思いを馳せにいらして下さい。

なお、展示室において遺跡紹介展「山ノ神遺跡」を同時開催中です。

おもな展示資料

三巴文軒丸瓦、宝珠文軒丸瓦、均整唐草文軒平瓦、平瓦、丸瓦
青磁皿、天目茶碗、染付磁器ほか

坂本城跡から出土した赤い三巴文軒丸瓦
坂本城跡から出土した黒い三巴文軒丸瓦
坂本城跡から出土した赤い均整唐草文軒平瓦

開催場所と開催期間など

  • 場所:大津市埋蔵文化財調査センター1階研修室
  • 期間:令和6年2月8日(木曜)から5月31日(金曜)まで 9時~17時
    ただし、土曜、日曜、祝祭日はお休みさせていただきます。
  • 入場料:無料