武将印紹介11 ・12「木村重成」「後藤又兵衛」(墨将印)

5月6日は大坂夏の陣の真っただ中・・・という事で、 「河内若江の戦い」では木村重成が、「道明寺の戦い」では後藤又兵衛が戦死しております。墨将印の第1弾を発売したのもちょうど2年前の5月でしたので、感慨深い武将となりますが・・・今回は二人同時にご紹介となります。

ぜひ武将印もご愛顧下さい♪^^

 

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後藤又兵衛こと後藤基次は2種類販売しております。
武将印 第1弾「後藤又兵衛」(墨将印)

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武将印 第22弾「後藤又兵衛」(墨将印)

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 ■武将印
サイズ 105㎜×148㎜
和紙(日本製)

 

 

元和元年(1615)5月6日 木村重成・後藤基次・薄田兼相らが討死

河内若江の戦いにて大坂方の木村重成が井伊直孝と戦い討死。享年23歳。また道明寺の戦いにて大坂方の後藤基次・薄田兼相らが討死、真田幸村は殿軍を務めて大坂城へ退去する。基次享年56歳、兼相享年不詳。

 前年十一月、徳川家康は大坂城の豊臣秀頼討伐を起こし、世に言う「大坂冬の陣」が始まりました。冬の陣では大坂方が奮戦、一時和議が結ばれますが程なく破れ、この年の四月から再び戦いが開始されました。

 圧倒的な兵数で諸方から大坂城へと迫る徳川方に対し、この日大坂方は若江では木村重成らが、八尾では長宗我部盛親と増田盛次が、道明寺では後藤基次・真田幸村・薄田兼相(すすきだかねすけ)・毛利勝永らが、それぞれ徳川方と戦いました。

 木村長門守重成は一説に常陸介重茲の子と言われ、非常な美男子だったと伝えられています。重成は前日に入浴し、髪を洗い香を焚きこめて出陣、若江で藤堂高虎・井伊直孝隊と遭遇します。初めは藤堂隊の一部を撃破するなど奮戦しますが兵力差が大きく、疲労が見えたところへ井伊直孝隊が殺到、奮闘及ばずついに戦死しました。後に重成の首実験をした家康は「香を焚きこめたのは勇士の嗜みであり、兜の緒の端を切り落としてあるのは討死を覚悟した証拠。素晴らしい勇将である」と褒めたといい、重成の死を知った大坂城内の婦女子は皆泣いたと伝えられます。

 一方、藤井寺方面には先鋒として後藤基次・薄田兼相らが向かいますが、後隊の真田幸村の到着が濃霧により遅れたのと敵の進撃が予想外に早かったことが重なり、基次は単独で道明寺へと出ます。ここで小松山を巡って徳川方の水野勝成・伊達政宗隊と激戦となり、基次は多くの敵勢を討ち取るなど力戦したものの、ついに伊達隊の銃撃を浴びて戦死しました。この後薄田兼相も道明寺河原で水野勢と戦い、激闘の末に河村重長に討たれます。

 遅れた真田幸村は敗残兵をまとめて伊達家の片倉重綱隊と戦い、撃破しますが自軍の損害も多く、夕刻になって毛利勝永らとともに兵を引いています。