御城印紹介42 宇土城(+小西行長)

2026年9月の墨城印最新作は宇土城です。

豊臣秀吉の九州平定後、肥後南半国の領主となった小西行長が1588年(天正16年)から新たに築城した平山城。
特に1600年「関ヶ原の戦い」で小西が処刑されたあと、肥後一国の領主となった加藤清正により大改修がなされています。
本丸には三層の天守閣があったと伝えられ、本丸・二の丸・三の丸という三つの郭を外堀と内堀で取り囲む重厚なお城でした。

 

1612年の一国一城令などにより廃城・破却され、一説によれば熊本城にある三層の小天守は宇土城天守閣を移設したともされています。
さらに1637年の「天草・島原の乱」の際には、小西行長が治めていた時代からキリシタンが多く住んでいたことから、一揆軍の拠点になるのを恐れた幕府によって徹底的に破壊が行われています。

 

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そして今月は宇土城に合わせまして墨将印も小西行長となります。

豊臣秀吉の側近として活躍したキリシタン大名です。
商人から武将へと異例の出世を遂げたとされ文禄・慶長の役では先鋒を務め、宣教師からは「海の司令官」と称されています。

和泉国堺の豪商・小西隆佐の次男で、最初は備前の宇喜多直家に仕え、その後に豊臣秀吉に見出されてその家臣となりました。
秀吉の九州平定などで軍功を挙げ、肥後国の南半国(約24万石)を与えられた際に宇土城を築城しました。


「文禄・慶長の役」では加藤清正と並ぶ先鋒の大将として進撃して平壌まで達する活躍を見せる一方で、泥沼化する戦局を憂いて明の使者と通じて早期の和平交渉に奔走しました。
その裏切りともとれる行動に、加藤清正とはその後も激しく対立を続けました。

関ヶ原の戦いで西軍が敗北すると伊吹山に逃亡するも捕らえられ、石田三成や安国寺恵瓊とともに京都の六条河原で斬首されました。

豊臣家だからこそ活躍の場を拡げられた面白い武将の一人ですね^^

 

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■宇土城跡■
住所:熊本県宇土市古城町(宇土城山公園)
アクセス:JR「宇土駅」下車、車で約8分/徒歩約30分