武将印紹介24「結城秀康」(墨将印)

天正二年(1574)2月8日は徳川家康に次男の於義丸(後の結城秀康)が生まれた日となります。

 結城秀康はこの日、徳川家康の二男として浜松に生まれました。幼名は於義丸(於義伊)、後に越前一国を含めて七十五万石を領すまでになりますが、幼少期は恵まれた環境とは言えなかったようです。秀康の母は家康の側室・お万の方(長勝院、池鯉鮒大明神の神主・永見志摩守吉英の娘)で、初めは家康正室・築山殿の侍女でした。しかし築山殿はねたみ深い性格だったので、お万の方の懐妊を知った本多作左衛門(重次)が引き取って養い、浜松城外の村で秀康を出産したと伝えられます。

 十四歳になった秀康は秀吉の九州征伐に従軍、その武者振りは秀吉を喜ばせたと伝えられますが、北条氏の滅亡後には下総結城城(茨城県結城市)主・結城晴朝の外孫(江戸重道の娘という)を妻に娶り、晴朝の養子となる形で結城氏十万一千石を継ぎました。また秀吉の没後、石田三成が奉行職を解かれて近江佐和山城(滋賀県彦根市)へ蟄居した際には瀬田大橋まで警護役として同行、三成は礼として後に「石田正宗」と呼ばれ越前家の宝物となる名刀を渡しています。また秀康は天下三名槍の一つ「御手杵」の所有者としても知られており、現代ではこちらの武器のほうが有名かもしれません。

 関ヶ原合戦後には越前北ノ庄六十七万石の大封を領し、世に越前宰相と呼ばれました。性格的には激情家ながら、まず名将と呼ぶにふさわしい人物でしたが、慶長十二年(1607)閏四月八日、病のため三十四歳の若さで世を去りました。一説に梅毒に冒されていたとも伝えられます。

 

 

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ちなみに秀康公と言えば、福井城にある騎乗の銅像でも有名な唐冠形兜や飛雲脇立付唐冠形兜といったイメージが強いのですが、今回御歌頭には「雉子形変わり兜」に槍を手にした凛々しいイメージで描いていただきました^^

以前、NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』が始まってすぐに井伊美術館館長・井伊達夫氏と弊社戦国魂主宰の鈴木智博で対談をさせてもらいました^^

雉子形変わり兜も井伊美術館様所用の兜となります。

 

当時の対談内容はこちら!!

過去の記事となりますが、気になる方はぜひ↓こちらもチェックしてみて下さいm(_ _)m

“男”城主!?直虎~新史料に見る井伊の黒幕と黒歴史(前編)