武将印紹介21「井伊直政」(墨将印)

徳川四天王の一人、井伊直政が関ヶ原で受けた傷が原因で没す。享年42歳。

 徳川四天王あるいは徳川十六神将の一人に数えられる勇将・井伊直政は、永禄四年(1561)二月十九日、今川氏の被官で遠江井伊谷(いいのや)城(静岡県浜松市)主・肥後守直親の子として生まれました。直政誕生の前年には桶狭間の戦いが起こっており、ここで祖父・信濃守直盛は戦死しました。さらに直政誕生に喜んだのも束の間、翌年には小野但馬の讒言により直親に謀反の嫌疑が掛かり、直親は今川氏真により誅殺されてしまいます。これにより当時万千代と名乗っていた直政は井伊谷を追われ、新野左馬助に養育されて育ちます。

 徳川家康との出会いは天正三年(1575)二月十五日のことでした。その頃家康はしばしば鷹狩りをしていましたが、この日道端に控えていた直政(当時十五歳)に目が止まり、帰城後に召し出して近習として採用しました。家康は直政を寵愛し、失った旧領井伊谷を与えた上に井伊谷三人衆と呼ばれる近藤秀用・鈴木重好・菅沼定治らを付け、直政をもり立てるように命じたと言われています。

 直政は次第に勇将として頭角を現し、数々の戦いで戦功を挙げ家康の期待に応えました。同十年に武田氏が滅亡すると、家康は武田氏の旧臣を直政に付けました。武田氏と言えば飯富虎昌から弟の山県昌景に引き継がれた「武田の赤備」が有名でしたが、直政はそれを引き継いで配下の将士に朱色で統一した軍装をさせ、世に「井伊の赤備」と呼ばれました。 北条氏滅亡後に家康が関東へ移封された際には、直政は上野箕輪城主に任ぜられ家中筆頭の十二万石を領しました。しかし関ヶ原の戦いにおいて、退却を敢行した島津惟新(義弘)を追撃、島津豊久や阿多盛淳を討ち取るなど大きな戦功を挙げますが、薩摩の士・柏木源藤に鉄砲で撃たれて負傷してしまいます。

 戦後直政は石田三成の居城であった近江佐和山城(滋賀県彦根市)に移り、十八万石に加増されました。しかし鉄砲傷の状態は思わしくなかったようで、一年余りを経たこの日にまだ四十二歳の若さで世を去りました。

 

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