武将印紹介1 「真田幸村」(墨将印)

真田幸村こと信繁といえば近年では大河ドラマ『真田丸』で歴史好きでなくとも「真田信繁」という本名が定着した人物でもあります。たまに「真田丸」さんって呼んでる方もいますが・・・(笑)

日本一の兵

真田昌幸の次男で通称は左衛門佐や源二郎。

江戸時代に流行った軍記物などで真田幸村という名で広く知られた名将の一人であり
大坂夏の陣では豊臣方の武将として徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍から
「日本一の兵(つわもの)」と評されています。

父・昌幸は謀略の天才でしたが、関ヶ原合戦で西軍についたため幸村と共に高野山に流罪となりました。
高野山九度山で幸村は昌幸から数々の軍略を授けられたといわれています。
1614年の大坂冬の陣の直前、幸村は大坂豊臣方からの誘いを受けて大坂城へ入城しますが
このとき幸村は一計を案じ、真田丸という出丸を急遽作事して、徳川方の東軍武将を完膚なきまでに撃退しました。


その後、和解を経て再度大坂夏の陣となりますが、天王寺茶臼山に陣を張った幸村隊は
赤備えで統一された見事な一隊であったと言います。
毛利勝永の突撃から東軍が大混乱に陥ると、幸村はその間隙をついて家康本陣を急襲。
後退した家康は一時死を覚悟したと伝わっています。

三度突撃した幸村でしたが、手勢も少なくなりやがて力尽きて
慶長20年(1615年)5月7日に討ち取られたと伝わっています。


幸村の子である大八が片倉家の保護を受け、密かに仙台伊達家藩士としてその家名が受け継がれました。

白石城・歴史探訪ミュージアムでも販売中

武将印(墨将印)片倉小十郎・伊達政宗・真田幸村は「白石城・歴史探訪ミュージアム」様の売店でも販売いただいております。

白石城へ行かれた際には、ぜひ売店にも足を運んでみて下さい。

■武将印真田幸村(墨将印)販売場所
白石城・歴史探訪ミュージアム売店(宮城県白石市益岡町1-16)

■墨将印
サイズ 105㎜×148㎜
和紙(日本製)

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