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墨絵師御歌頭「大谷吉継」Tシャツ

商品番号 okazu-ootani_ts
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■墨絵師『御歌頭』の描く世界

御歌頭の描く墨絵は濃淡がない。

ハイライトに当てられた絵は、カラーで言えばビビッドそのもの。

墨絵の味わいをそのままに、武将をイメージさせるカラーを乗せて仕上げたTシャツは戦国魂ならではの表現方法で、墨絵の新たな楽しみ方を提案している。


■大谷吉継

大谷刑部の名でも知られる。羽柴秀吉に仕える奉行の一人であったが、軍略においても秀吉をして「百万の兵を指揮させてみたい」と言わしめた名将。

石田三成とは幕友であり、茶会の折、疱瘡を患う吉継の茶を誰もが嫌厭したところ、三成は顔にも出さず飲み干したという逸話で知られている。

上杉征伐に向かう徳川家康に従軍するため、若狭より南下した吉継は、近江佐和山城において三成から蜂起の意志を告げられる。

吉継はすぐさまそれを制し、その理由として、三成の好き嫌い激しく、横柄な態度等を指摘するが、その私心なき心に殉じる覚悟をし、西軍総大将に毛利輝元を立てるよう献策した。

敦賀に戻った吉継は加賀の前田に対して謀略を行い、北陸の諸大名を説得し西軍に付け、前田勢を北陸に釘付けすることに成功する。
反転した吉継は西軍諸将と共に伏見城をはじめ各城を攻略、ようやく進軍してきた前田勢に対しては「吉継が海路で加賀に奇襲する」という偽情報を流し、撤退に追い込むという大胆な戦略を成功させた。

関ヶ原本戦では、松尾山に陣どる小早川秀秋に備え、秀秋が東軍についた後も戦線を維持していたが、その伏兵として配置していた脇坂・朽木・小川・赤座の諸隊が東軍に寝返ったことで大谷隊は壊滅。三成撤退のための時間を稼ぐよう「死兵」となって戦った後自害した。

吉継の子、吉治は戦場を離脱、十数年諸国を放浪した後、大坂城に入城。吉継の娘が嫁いだ「真田信繁」の下で奮戦し、東軍と戦い討ち死にする。吉治を討ち取ったのは、皮肉にも越前松平隊であった。


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