御城印紹介26 宇都宮城(墨城印)

11月の新作墨城印は関東七名城としても知られる「宇都宮城」となります。

宇都宮城といえば将軍家が日光東照宮へ参拝する際には宿泊所としても活用された要所の平城です。

墨城印 43 宇都宮城(税込330円)はこちらからお買い求めいただけます。

 

日本100名城・続日本100名城には選ばれていませんが、関東を代表する名城の一つなのでお城巡りの記念にもぜひどうぞ♪
ちなみに次回の新作は太田道灌時代の「江戸城(太田期)」を予定しています^^

 

 

宇都宮城釣天井事件

宇都宮城を大改修した人物は本多正純で「宇都宮城釣天井事件」で失脚した事でも知られています。

関ヶ原合戦後の1608年、天領となっていた下野国(現・栃木県)小山3万3000石を与えられた正純は、家康のブレーンとして父・正信と共に徳川幕府内でも権勢を誇っていました。しかし1616年、後ろ盾でもあった家康と父・正信が相次いで亡くなった事で暗雲が立ち込めます。

同年には表向きは家康を支えた宿老として2万石が加増、1616年には家康の遺命として宇都宮15万5000石に加増移封とその後も順風満帆でした。ですが正純の振る舞いは秀忠やその側近らからも疎まれていたとされ、佐竹家家臣だった梅津政景の日記には「奉公不足」とあるように正純自身の慢心・傲慢さが目立つようになります。

宇都宮城へと移った正純は石垣修復や抜け穴の掘削、城下を整備したり鉄砲を購入したりと精力的に領地改革を行いました。しかし1622年には正純を快く思っていない秀忠の姉・加賀御前(亀姫)から秀忠に、正純が秀忠暗殺を計画しているとの疑惑が伝えられます。

これが「宇都宮城釣天井事件」と呼ばれる事件で、家康の七回忌で日光東照宮へ参拝に行く将軍秀忠を、宿泊予定だった宇都宮城で正純が釣り天井を用いて暗殺を企んでいるという内容でした。姉からの話を聞いた秀忠は宇都宮城で宿泊することなく江戸へと戻りましたが、その後幕府から正純に対して罪状と糾弾の使者が派遣されました。


正純は11にも及ぶ罪状に対して反論を述べて使者を言いくるめますが、追加で問いただされた将軍直属の同心を殺害した事、抜け穴などの無断改修、鉄砲の購入などについては納得のいく答えを伝えなかったとされています。その事や使者との問答のなかでの秀忠に対する失礼な態度が問題となり、謀反の疑いがあるとされて宇都宮を得てからわずか3年で改易となりました。

また改易が決まった後で秀忠は釣り天井の有無について実際に調べさせていますが、釣り天井のような仕掛けは無かったとされています。流言から失脚させられるに至ったものの、秀忠や加賀御前(亀姫)からの恨みだけでなく、多くの幕臣からも恨みを買っていた一面が伝わる逸話ともいえます・・・^^;


その後、配流の身となった正純は出羽国の佐竹家に預けられ、屋敷からも出られないような生活を強いられながら出羽国横手の地で亡くなっています。